大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(行ウ)72号 判決

原告

松本武彦

右訴訟代理人弁護士

妹尾佳明

石川一成

被告

練馬西税務署長

米山眞夫

右指定代理人

清野正彦

外四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

原告が平成六年三月一四日付けでした平成五年分の所得税の純損失の繰戻しによる還付請求に対し、被告が平成六年一二月二一日付けでした還付すべき理由がない旨の通知処分を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、平成五年分の所得税の純損失の繰戻しによる還付請求(以下「本件還付請求」という。)をしたところ、被告が、原告の同年分の所得税については所得税法(以下「法」という。)一五一条二項の規定により青色申告の承認の効力が失われており、原告は青色申告書を提出する居住者に該当しないとして、原告に対し還付すべき理由がない旨の通知処分(以下「本件通知処分」という。)をしたため、原告がこれを不服として、本件通知処分の取消しを求めている事案である。

一  法の規定内容

1  純損失の繰戻しによる還付の請求

青色申告書を提出する居住者は、その年において生じた純損失の金額がある場合には、当該申告書の提出と同時に、納税地の所轄税務署長に対し、①その年の前年分の課税総所得金額、課税退職所得金額及び課税山林所得金額につき法第三章第一節(税率)の規定を適用して計算した所得税の額から、②その年の前年分の課税総所得金額、課税退職所得金額及び課税山林所得金額から当該純損失の金額の全部又は一部を控除した金額につき法第三章第一節の規定に準じて計算した所得税の額を控除した金額に相当する所得税の還付を請求することができる(法一四〇条一項)。ただし、右還付請求は、青色申告書を提出する居住者がその年の前年分の所得税につき青色申告書を提出している場合であって、その年分の青色申告書をその提出期限までに提出した場合(税務署長においてやむを得ない事情があると認める場合には、当該申告書をその提出期限後に提出した場合を含む。)に限り、行えるものとされている(同条四項)。

2  青色申告の承認及びその失効

不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務を行う居住者は、納税地の所轄税務署長の承認を受けた場合には、確定申告書及び当該申告書に係る修正申告書を青色の申告書により提出することができる(法一四三条)。

他方、青色申告の承認を受けている居住者が法一四三条に規定する業務、すなわち、不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務の全部を譲渡し又は廃止した場合には、その譲渡し又は廃止した日の属する年の翌年分以後の各年分の所得税については、青色申告の承認は、その効力を失うものとされている(法一五一条二項)。

二  争いのない事実等

(証拠により認定した事実は、認定に供した証拠をかっこ内に示した。)

1  本件通知処分の経緯等

(一) 原告は、平成四年三月一三日、練馬東税務署長に対し、平成四年分以後の所得税の申告を青色申告書により行いたい旨及び所得の種類は不動産所得である旨などを記載した青色申告承認申請書を提出し、法一四七条の規定により、同年一二月三一日に青色申告の承認があったものとみなされた。

(二) 原告は、平成五年三月一五日、練馬東税務署長に対し、平成四年分の所得税について、青色の確定申告書(分離課税用)に不動産所得の金額を八万五二六八円、雑所得の金額を一四五万八〇〇一円、後記2(五)の譲渡に係る分離長期譲渡所得の金額を二六〇九万一三七三円、納付すべき税額を七八八万一七〇〇円とそれぞれ記載して提出した。

(三) 原告は、平成六年三月一四日、被告に対し、平成五年分の所得税について、青色の確定申告書(損失申告用)に雑所得の金額を一四八万九〇三三円、後記2(七)の譲渡に係る分離長期譲渡所得の損失の金額を二三五六万五二〇〇円、純損失の金額を二二〇七万六一六七円とそれぞれ記載して提出するとともに、右純損失の金額の繰戻しによる還付金六六〇万六一〇〇円の還付を求める本件還付請求をした。

(四) これに対し、被告は、原告の平成五年分の所得税については、法一五一条二項の規定により青色申告の承認の効力が失われており、原告は青色申告書を提出する居住者に該当しないとして、平成六年一二月二一日付けで原告に対し、還付すべき理由がない旨の本件通知処分をした。

(五) 原告は、本件通知処分を不服として、平成七年二月二〇日、被告に対し異議申立てをしたが、被告は同年五月一八日付けで異議申立てを棄却する決定をした。原告は、これを不服として、同年六月一九日、国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は、平成八年二月七日付けで審査請求を棄却する裁決をした。

2  原告の不動産の貸付け等の状況

(一)原告は、昭和五二年一〇月二七日、千葉市中央区東千葉二丁目二八五番地一二〇(旧住所表示・千葉市東寺山町二八五番地一二〇)所在の土地建物(以下「東千葉の物件」という。)を購入した。

(二) 原告は、昭和六二年九月一日、東京都練馬区高野台五丁目二二四三番地八所在の土地建物(以下「高野台の物件」という。)を購入し、同月三日から同所で居住を開始した。

(三) 原告は、昭和六三年一月から、加藤裕子(以下「加藤」という。)に対し、東千葉の物件を賃貸したが、平成三年三月以降、加藤に対し立退きを求め、賃料を受領していなかった。

(四) 原告と加藤は、交渉の結果、東千葉の物件の賃貸借契約を合意解除することとし、平成四年三月、加藤は同物件を明け渡した(乙一四)。

(五) 原告は、平成四年八月二七日、近藤博及び平野信子(以下「近藤ら」という。)に対し、東千葉の物件を売却し、同日付けで所有権移転登記を経由した。

(六) 原告は、平成五年三月八日、東京都練馬区石神井町二丁目一四四四番地二〇所在の土地に建物を新築し(以下、右土地及び建物を併せて「石神井町の物件」という。)、同月一四日、高野台の物件の住所から転居した。

(七) 原告は、平成五年四月一三日、渡邊千鶴子(以下「渡邊」という。)に対し、高野台の物件を売却し、同日所有権移転登記を経由した。

三  争点

1  原告の青色申告の承認の効力が法一五一条二項により平成五年分以後の各年分の所得税について失われたか否か。

(原告が平成四年中に不動産所得を生ずべき業務を廃止したと認められるか否か。)

2  本件通知処分が信義則に違反するか否か。

四  争点に関する当事者の主張

1  争点1について

(一) 原告の主張

原告は、平成四年八月二七日に東千葉の物件を売却しているが、平成五年四月一三日まで高野台の物件を所有していたことは明らかであり、原告は、平成四年一二月三一日までの間に、高野台の物件を賃貸することができる状況にあったのであるから、同日までに不動産所得を生ずべき業務を廃止したとはいえない。高野台の物件は、平成五年四月一三日に売却され、結果的には、賃貸の用に供されることはなかったが、原告としては、同物件を賃貸する意思があり、また、外形的にみても、同物件について全部を賃貸するか、又は一部を間貸しすることによって賃貸できる状況にあった(現に、原告は、同年三月八日に新築された石神井町の物件に転居しているが、右転居当時、高野台の物件は売却されておらず、賃貸することが可能であった。)のであるから、平成四年中に原告が不動産所得を生ずべき業務を廃止したということはできない。

(二) 被告の主張

(1) 法一五一条二項は、青色申告の承認を受けている居住者が、法一四三条に規定する業務、すなわち、不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務の全部を譲渡し又は廃止した場合には、青色申告の取りやめ等の手続をしたり、所轄税務署長から青色申告の承認の取消処分を受けたりしない場合であっても、右業務を譲渡し又は廃止した日の属する年の一二月三一日までに不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべきいずれかの業務を開始していない限り、その年の翌年分以後の各年分の所得税については、青色申告の承認の効力が失われることを規定したものである。

(2) ところで、法一四三条は、青色申告の承認を受けることができる業務を不動産所得、事業所得及び山林所得を生ずべき業務に限定しているが、これは、これらの所得を生ずべき業務が営利性、有償性、継続反復性、自己の危険と計算による企画遂行性等の性格を有しており、納税義務者において帳簿書類を備え付け、それに収入及び支出を記帳し、これを基礎に申告を行わせる必要性が特に大きいと認められることから、右納税義務者が納税地の所轄税務署長の承認を受けた場合には、青色申告に伴う各種の特典を付与することにより、記帳制度の定着を図るとともに、公正妥当な会計処理の実行による適正な課税の確保を実現する趣旨によるものである。

右の立法趣旨にかんがみれば、法一四三条の「業務」とは、不動産所得の基因となる資産の貸付け、事業所得を生ずべき事業の経営又は山林の保有などを通じて営利を目的とする反復継続的な活動を行うことを指し、その業務の存否の認定に当たっては、単に右のような反復継続的な営利活動を行う主観的な意思があることでは足りず、その意思の実行を担保するに足る当該納税者の人的物的設備、右設備の利用計画、その実現可能性等の外形的状況が具備されており、右のような意思が客観的にも明らかに認められることを要するものと解すべきである。

このうち「不動産所得を生ずべき業務」は、不動産等の貸付けに係る業務をいうが(法二六条一項参照)、土地等の不動産は貸付けの用に供されるだけでなく、賃貸以外の業務用や家事用として利用され得るものであり、また、値上がり益を得るために保有されることもあるなどその利用方法が多岐にわたるものであるから、単に不動産を所有していることや、不動産を貸付けの用に供する意思を有していることをもって、「不動産所得を生ずべき業務」を行っているものと解するのは相当ではない。前記の「業務」に関する解釈からも、不動産を所有する納税義務者において、所有不動産をいまだ貸付けに係る業務の用に供していない場合、当該納税義務者が「不動産所得を生ずべき業務」を行っているというためには、当該土地等の具体的な利用計画とその実現可能性、準備手続や建築工事の進捗状況等の客観的状況からして、当該土地等が貸付けの用に供されることが客観的に明らかであることを要するというべきである。

(3) 以上の解釈を前提に、本件の事実関係をみてみれば、原告は、平成四年三月、唯一の賃貸用不動産である東千葉の物件から加藤を立ち退かせ、これを同年八月二七日に近藤らに譲渡した後は、不動産所得を生ずべき業務を行ったり、その計画を有していた事実はなく、また、同年一二月三一日までに不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務を開始した事実も認められないから、原告は、遅くとも同年八月二七日に東千葉の物件を譲渡した時点で業務の廃止をしたこととなり、原告の所得税の青色申告の承認は、同年一二月三一日の経過をもって当然に失効したものと解される。

2  争点2について

(一) 原告の主張

(1) 原告は、原告の青色申告の承認が平成五年分以後の各年分の所得税について効力を失ったことについて、平成四年中に通知を受けたこともないことから(青色申告の承認の取消しの場合には、理由を附記した書面による通知がされることになっている(法一五〇条二項)。)、平成五年分の所得税についても青色申告が行えるものと信頼し、帳簿書類を備え付け、取引を正確に記帳して青色申告制度上の義務を履行していたものである。

(2) そして、被告は、原告から平成四年分の所得税について青色の確定申告書を異議なく受領した上、平成五年分の所得税についても青色の確定申告書用紙を原告に送付して青色確定申告をするよう勧め、また、被告の送付した確定申告書(損失申告用)用紙には「平成四年分も青色申告書を提出しているときは、その赤字の全部又は一部を平成四年分に繰り戻して税金の還付を受けることもできます。」との注意書が記載されていたことから、原告は、平成五年分の所得税について青色の申告ができるものと信じ、右注意書による示唆を受けて、本件還付請求を行った。しかるに、被告は、原告の所得税の青色申告の承認は平成四年一二月三一日の経過により当然に失効したとして、本件通知処分をしたものである。

(3) 右のとおり、原告は、被告の言動を信頼し、平成五年分の所得税についても、青色申告制度上の義務を履行し、被告の勧めに従って青色の確定申告書により申告をしたものである。したがって、本件は、信義則(禁反言の法理)を適用するための要件である、①租税行政庁が納税者に対して信頼の対象となる公の見解を表示したこと、②納税者の信頼が保護に値すること、③納税者が表示を信頼し、それに基づいて行為をしたことの三要件を充足しているから、信義則(禁反言の法理)を適用して還付請求が認められるべきであり、還付すべき理由がないとした本件通知処分は信義則(禁反言の法理)に違反するものとして取消しを免れない。

(二) 被告の主張

(1) 信義則の法理が租税法の分野に適用されるためには、①租税行政庁が納税者に対して信頼の対象となる公の見解を表示したこと、②納税者の信頼が保護に値するものであること、③納税者が表示を信頼してそれに基づいて何らかの行為をしたこと、④そのために納税者が経済的不利益を受けることになったこと、⑤納税者が表示を信頼しその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がないことを要する。

(2) 青色申告は、不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務を行う居住者に限って承認されるものであるから、当該居住者が右業務を譲渡又は廃止した場合、青色申告の承認に伴う特典を付与すべき活動の基礎が失われるに至ったものとして、青色申告の承認が失効することは当然である。法一五一条二項は、右の当然の法理を定めた規定であって、この点、青色申告の承認の基礎となる活動が継続しているにもかかわらず、所轄税務署長が、業務に係る帳簿の備付け、記録又は保存が正規の方式に従っていないこと等に対する制裁として、右特典を剥奪する青色申告の承認の取消し(法一五〇条一項)の場合と取扱いを異にするものである。

したがって、納税者が青色申告の承認の基礎となる業務を譲渡又は廃止した以上、当該納税者は、課税庁からの指摘ないし指導を待つまでもなく、当然にいわゆる白色申告をしなければならない義務があるのであるから、当該納税者が青色申告をしたとしても、それは、法の趣旨に反した申告にすぎず、これを是認すべき理由はない。

(3) 原告は、あたかも被告が原告に対し平成五年分の所得税について、青色の確定申告書用紙を送付したことが、公の見解の表示に該当すると主張するかのようであるが、被告は、従来から前年に青色申告をした者には、行政サービス及び行政の効率を図る見地から確定申告書用紙を機械的・事務的に送付しており、納税者から特に青色申告の取りやめ等の届出のない限り右送付事務を継続しているにすぎないものであるから、これをもって、行政庁の公の見解の表示と解することができないことは明らかである。

また、原告は、被告が青色申告の承認の取消しと同様の通知等の手続をとらなかったことをもって、被告による右公の見解の表示に該当すると主張するかのようであるが、法一五一条二項の場合に、青色申告の承認の取消処分の場合のような通知を要することなく青色申告の承認の効力が失効することは、法文の文理及び趣旨に照らして明らかであるから、原告の右主張は失当である。

右のとおり、本件においては、被告が原告に対して信頼の基礎となる公の見解を表示したことはないから、信義則違反の主張に理由がないことは明らかである。

(4) さらに、原告は、前記(2)記載のとおり、平成五年分の所得税の申告に当たり当然にいわゆる白色申告をしなければならない義務があったのみならず、法二二九条に基づき事業の廃止をその事実があった日から一月以内に被告に届け出る義務があったにもかかわらず、原告から業務の廃止に関して何ら届出はされなかった。

したがって、仮に原告に何らかの信頼が存したとしても、右信頼が保護に値するものとはいえないし、原告に責めに帰すべき事由がないともいえないから、本件において、前記(1)②、⑤の要件を欠くことは明らかである。

(5) 以上のとおりであるから、本件において、本件通知処分に信義則の法理が適用される余地はない。

第三  当裁判所の判断

一  争点1(原告の青色申告の承認の効力が法一五一条二項により平成五年分以後の各年分の所得税について失われたか否か)について

1  法一五一条二項は、青色申告の承認を受けている居住者が、法一四三条に規定する業務、すなわち、不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務の全部を譲渡し又は廃止した場合には、その譲渡し又は廃止した日の属する年の翌年分以後の各年分の所得税については、青色申告の承認の効力が当然に失われることを規定したものである。

ところで、法において、不動産所得とは、不動産、不動産の上に存する権利、船舶又は航空機の貸付け(地上権又は永小作権の設定その他他人に右不動産等を使用させることを含む。)による所得(事業所得又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいい(法二六条一項)、事業所得とは、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林所得又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいい(法二七条一項)、山林所得とは、山林の伐採又は譲渡による所得をいう(法三二条一項)ものとされているから、不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務とは、不動産所得の基因となる資産の貸付け、事業所得を生ずべき事業の経営又は山林の保有をいうものと解される。

このうち不動産所得を生ずべき業務に関しては、土地等の不動産は貸付けの用に供されるだけでなく、賃貸以外にその所有者の業務用や家事用とて利用され得るものであり、また、値上り益を得るために保有されることもあるなどその利用方法が多岐にわたるものであるから、単に不動産を所有していることや不動産を貸付けの用に供する主観的な意思を有していることのみをもって、不動産所得を生ずべき業務を行っているものということはできず、不動産の所有者が所有不動産をいまだ貸付けの用に供していない場合において、当該所有者が不動産所得を生ずべき業務を行っているというためには、当該不動産の具体的な利用計画とその実現可能性、そのための準備手続の進捗状況等の客観的状況からして、当該不動産が貸付けの用に供されることが客観的に明らかであることを要するというべきである。

2  原告の不動産の貸付け等の状況、原告が平成四年三月、東千葉の物件の賃貸借契約を合意解除して同物件の明渡しを受けた上で、同年八月二七日同物件を売却したことは、前記第二の二2記載のとおりである。そして、乙一三及び弁論の全趣旨によれば、原告は、東千葉の物件の賃貸借契約を合意解除して同物件の明渡しを受けた後は、不動産所得の基因となる資産の貸付けを現実に行ったことはなく、また、右貸付けに係る具体的な計画もなかったことが認められる。

これに対し、原告は、当時所有していた高野台の物件を賃貸する意思があり、外形的にみても、同物件について全部を賃貸するか、又は一部を間貸しすることによって賃貸できる状況にあったのであるから、平成四年中に原告が不動産所得を生ずべき業務を廃止したということはできない旨主張する。

しかしながら、前示のとおり、不動産の所有者が所有不動産をいまだ貸付けの用に供していない場合において、当該所有者が不動産所得を生ずべき業務を行っているというためには、当該不動産の具体的な利用計画とその実現可能性、そのための準備手続の進捗状況等の客観的状況からして、当該不動産が貸付けの用に供されることが客観的に明らかであることを要するというべきところ、高野台の物件は、原告が平成五年三月八日に建物を新築して同月一四日に石神井町の物件に転居するまで、自らの住居として使用していたものであり、また、原告は、高野台の物件を含め不動産所得の基因となる資産の貸付けを行う具体的な計画を有していなかったのであるから、高野台の物件が貸付けの用に供されることが客観的に明らかであるとは到底いうことはできない。

かえって、証拠(乙六、一五ないし一九)によれば、原告は、当時自らの住居として使用していた高野台の物件について、平成四年一一月一一日の住宅情報雑誌に売却広告を出すなどして、同物件を売却するための手続を進め、平成五年一月二九日、渡邊との間で同物件の売買契約書を取り交わし、売買代金の一割に当たる手付金六八〇万円を受領したことが認められ、右事実によれば、原告は、平成四年中に高野台の物件を売却する意思を固め、同物件を貸付けの用に供する意思は有していなかったと推認することができる。なお、原告は、石神井町の物件に転居した当時、高野台の物件は売却されておらず、賃貸することが可能であった旨主張するが、前記認定のとおり、原告は、平成五年一月二九日に渡邊との間で同物件の売買契約書を取り交わし手付金を受領しているのであって、原告が石神井町の物件に転居した同年三月一四日の時点で高野台の物件を貸付けの用に供する現実的な可能性は存しなかったというべきである。

したがって、原告の前記主張は採用することができず、原告は、遅くとも、唯一の賃貸用不動産である東千葉の物件を売却した平成四年八月二七日の時点で、不動産所得を生ずべき業務を廃止したと認めるのが相当である。

3  そして、原告が平成四年中に事業所得又は山林所得を生ずべき業務を行っていなかったことは、弁論の全趣旨によりこれを認めることができるから、原告は、遅くとも、唯一の賃貸用不動産である東千葉の物件を売却した同年八月二七日の時点で、法一四三条に規定する業務の全部を廃止したものというべきであり、したがって、法一五一条二項の規定により、原告の青色申告の承認の効力は、平成五年分以後の各年分の所得税について、その効力を失ったというべきである。

二  争点2(本件通知処分が信義則に違反するか否か)について

1  前示のとおり、原告の青色申告の承認の効力は、法一五一条二項の規定により、平成五年分以後の各年分の所得税についてその効力を失ったというべきであるから、原告は、同年分の所得税について青色申告書を提出する居住者に該当せず純損失の繰戻しによる所得税の還付を請求することはできないので、本件還付請求に対し還付すべき理由がないとした本件通知処分は、法の規定に適合するものである。

2  ところで、租税法規に適合する税務官庁の処分について、信義則の法理の適用により、右処分を違法なものとして取り消すことができる場合があるとしても、法律による行政なかんずく租税法律主義の原則が貫かれるべき租税法律関係においては、右法理の適用については慎重でなければならず、租税法規の適用における納税者間の平等、公平という要請を犠牲にしてもなお納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情が存する場合に、初めて右法理の是非を考えるべきものである。そして、右特別の事情が存するかどうかについては、少なくとも、税務官庁が納税者に対し信頼の対象となる公的見解を表示したことにより、納税者がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したところ、後に右表示に反する処分が行われ、そのために納税者が経済的不利益を受けることになったものであるかどうか、また、納税者が税務官庁の右表示を信頼しその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がないかどうかという点を考慮して判断すべきものと解される。

3  そこで、本件において右特別の事情が存するか否かについて検討するに、原告は、被告が平成五年分の所得税の青色の確定申告書用紙を原告に送付したこと、被告から送付された確定申告書(損失申告用)用紙に「平成四年分も青色申告書を提出しているときは、その赤字の全部又は一部を平成四年分に繰り戻して税金の還付を受けることもできます。」との注意書があったことをもって、被告が公的見解を表示したものと主張する。

しかしながら、弁論の全趣旨によれば、被告は、従来から、前年に青色申告をした者には、行政サービス及び行政の効率を図る見地から確定申告書用紙を機械的・事務的に送付しており、納税者から青色申告の取りやめ等の届出がない限り右送付事務を継続していること、原告に対する平成五年分の青色の確定申告書用紙の送付も右送付事務の取扱いに従って機械的・事務的に行われたものであることが認められ、これによれば、右確定申告書用紙の送付が前記の信頼の対象となる公的見解の表示に該当しないことは明らかである。また、甲二の2によれば、被告から送付された確定申告書(損失申告用)用紙に記載されていたという前記注意書は、確定申告書(損失申告用)用紙(控用)に不動文字で記載された一般的な注意書にすぎないことが認められ、右注意書の記載が前記信頼の対象となる公的見解の表示に該当しないこともまた明らかである。

さらに、原告は、原告の青色申告の承認が平成五年分以後の各年分の所得税について効力を失ったことについて平成四年中に通知を受けていないことから、平成五年分の所得税についても青色申告が行えるものと信頼した旨主張するが、前示のとおり、法一五一条二項によれば、法一四三条に規定する業務の全部を廃止した場合には、当然に、その廃止した日の属する年の翌年分以後の各年分の所得税について青色申告の承認の効力が失われるものであり、その効力が失われたことについて通知を要しないことはその規定上明らかである。したがって、被告が、青色申告の承認の効力が失われたことについて通知しなかったからといって、被告が納税者に対し信頼の対象となる何らかの公的見解を表示したものとみることはできず、納税者において、右通知がないことから翌年分以後の各年分の所得税についても青色申告を行うことができるものと信じたとすれば、それは単に法律の不知又は法律の誤解によるものにすぎないというべきであり、そのように信じた納税者を保護する必要性は認め難い。

そのほか本件全証拠を検討しても、本件通知処分に関し信義則の法理を適用すべき特別の事情が存するとは認められない。

4  したがって、本件通知処分が信義則に違反するとの原告の主張は採用することができない。

第四  結論

以上によれば、本件還付請求に対し還付すべき理由がないとした本件通知処分は適法であり、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官青栁馨 裁判官増田稔 裁判官篠田賢治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例